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Aくんへ。君が死に早一ヶ月。

2012年10月16日 00:56

絶望する若者あり
悪魔の質屋に魂を売る
悪魔魂をみて云う
駄目だ駄目だ
高過ぎる
その値段では買えません
店を去る背中に悪魔の声が掛かる
生きてればそのうちいいことがありますよ

絶望する若者あり
魂の値段は日々下落する
視線と言葉と
請求書により
質屋の戸を叩く
悪魔魂をみて云う
駄目だ駄目だ
高過ぎる
その値段では買えません
店を去る背中に悪魔の声が掛かる
ちょっと外に出て気晴らしでもしてきては

絶望する若者あり
魂は日々痩せ細る
傷口から
血と呻きを止められない
悪魔の言い値で売ってやろう
質屋の戸を叩く
悪魔魂をみて云う
駄目だ駄目だ
高過ぎる

安楽はお支払い出来ませんが
引き取り処分なら

店を去る背中に悪魔の声が掛かる
死にたいなんて言わないで下さいよ

絶望する若者の手が取り零す
骨と皮ばかりの魂
部屋には帰らない

仕事を終えて店を去る悪魔が
店の表で見つけた
衰弱し切った何かの残滓
胸いっぱいに芳香を吸い込んで
おいしい、おいしい

泣きながら貪る
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虹の橋

2009年04月02日 01:23

こんばんは、かみつきAです。

春から少し空気を換えてみようと思い、書棚の整理をしていました。
いろいろと懐かしい本が出てきたりします。

私のクセなんですけれど、本棚にアルバムとか袋に入ったままの写真を入れたままにしてしまうことがあるんです。
私は自分の写真があまり好きではないので、風景とか、そういった写真が多いです。
整理中も、一冊ですが、写真が何枚か収まったアルバムが出てきました。

表紙で中身がわかるほど何度も見たアルバムです。
そこにはしばらく前に亡くなった、飼い猫の写真がうつっていました。
20年近く連れ添った猫です。

向こうからすれば、出来の悪い同居人だったと思います。
私からすれば、かけがえのない親友でした。
ふさぎこんでいるときに、何かを見透かしたように、そばでこっちを見ているときもありました。「お前さんはなにをくだらないことでウジウジしているんだよ」なんて思っていたのかもしれません。
私の気分がおちついたころになると、フイとそっぽを向いて自分の寝床に向かうようなやつでした。

急に体力が落ちて、食事も取れなくなり、水すら飲めなくなった姿。
病院の先生には「安楽死をさせるか、家で見取ってあげるか」といわれました。
身勝手ですよね。勝手にそんなこと決めていいものなのか。
でも、こういう決定が出来ないのなら、死を受け入れることが出来ないのなら、動物を飼うべきじゃないんですよね。中途半端に、責任を取れずに、いつまでも引きずることが、一番やっちゃいけないことなんだろうと思います。

人も同じ。
死や、別れを恐がっているばかりでは、絶対に前に進めない。
何度も何度も、身近な人の死や、別れには遭遇してるんだし、思いつめちゃいけないんですよね。

もうすでに、悲しみはきえました。
私が忘れなければ、それでいいと思います。

写真には元気に走り回っていたころの姿が残っていました。
私は、神様も、霊魂も、輪廻も、あの世も信じていないから、「ありがとう」と「さようなら」しか言いません。
それでも、虹の橋の伝説のような場所があるのなら、幸せにね。


かみつきA

卒業

2009年03月19日 02:32

こんばんは、かみつきAです。

はてさて。
…はてさて、という言葉の意味は知らないけれど、世間では卒業のシーズンのようです。
卒業ですよ、卒業。
コレが入学式ともなると「わしはこんなところきとうなかった!」とか言い出すやつが現れるわけですけれど、それは四月にでもなにかネタに困ったときにまた使うとして、やっぱり3月といえば卒業シーズンですよ。

といっても、私に卒業式の記憶っていうのもあんまりなくって、最後に出たのはずいぶん昔のことで、高校の卒業式でした。なんで記憶にないかっていうと、寝てたんですよ。半分。
前日遅くまでゲームしてたからか。

そういえば「君が代」とか「仰げば尊し」なんて歌ってましたね。最近はJ-POPを歌うのが主流だそうです。
若者に媚てどうする!っていう意見も確かにあるし、安っぽい別れの歌で良いんだろうかとは私も思いますが、式典の主役はあくまで生徒達なんだから、横からとやかく言っても仕方ないんですよね。その後、どういう思い出になるかは個人の話しだし、クラスのヒエラルキーのうえの人間が選択したら、反対できないでしょうから。
いいんです、どっちでも。流行の歌だろうが、伝統の歌だろうが、半分眠っていた私にとっては、大差なかったし。
「卒業式だというけれど 何を卒業するのだろう」みたいな。心持ちの問題といいますか。
だから、極端な話、式に出なくてもいい。

大体「仰げば尊し」なんて歌ったところでねぇ…
「仰げば」っていうのも、よくわからないですけれど、「わが師の恩」ってなんだろうと未だに悩んでいます。変な教師しかいなかったので。むしろ甘党としては「和菓子の恩」です。つまらない?ごめん。
今の時代、純粋に「先生ありがとう!」なんて思ってる子どもが何人いるか。それ以前にそんなふうに思われる資格を持った教師が何人いるか。
私なんて卒業して三日くらいで、担任の名前忘れましたよ。なんだったか。

そういえば、制服の第二ボタンをもらうと両思いになるとか。
あれっておまじないじゃなくって、ただの告白ですよね。「ボタンをください」=「好きです」で、あげるかどうかによって、その返答になるわけですから。
ふと思い出したんですけれど、その第二ボタンとやらを、もらいにいったら断られて、何を思ったのかその場で無理やりボタン引きちぎってきた、恐ろしい女の子がいました。今何してるんだろう。

あとこの時期に多いのが、調子に乗って免許取立てで運転して、事故を起こしちゃう人ね。
もちをのどに詰まらせる、みたいな風物詩になりかかってる気がします。

こういう、心の盛り上がりは経済とかの活性化とかにもなるんでしょうけど、一歩間違えたら大惨事ですからね。
気をつけてほしいものです。

かみつきA

Another world

2009年03月03日 01:47

こんばんは、かみつきAです。
なんだか最近、胸にいろいろと暗い気分がたまってきています。お薬は飲んでいるものの、いろいろと昔のことが頭をよぎったり、自分を責めたり。

今日はそんな頭によぎったもののひとつ…

小さいころから、私は読書の世界にどっぷりとつかっていました。

といっても、こむずかしい本を読むような人間じゃなかったし、そんなつもりもなかったから、読んでいたのは小説や漫画、とりわけオカルトなものや、ミステリものが多かったと思う。あとは星新一作品とか。
テレビもよく見てました。年齢が上がるにしたがって、ゲームもよくやった。
そう、私は典型的なインドア派の子どもでした。
だから、いわゆるオタクに分類される人間かもしれないけれど、そんなカテゴリ分けをしたところで意味はないし、所詮一般的な「オタク」の認知なんて宮崎勤の事件からずっと「キケン」とか「理解不能」な人種としてのレッテルでしかないのだから、わざわざ気にすることもないと思います。

私は今でもそういう一人で楽しめる趣味に、一定の時間を注いでいます。
そのことを親はあまりよく思ってはいないようでした。思い返してみると、「友達と遊べ」とかよく言われた記憶があります。嫌だった。
昔は今以上に人が苦手だったし、「変わった子」だったから友達も多くなく、そんなに遊ぶ相手もいなかった。変わった子どもなんていうのは勝手な思い込みで、友達と楽しく遊ぶ子どもが健全で、暗い子どもが以上というのは差別以外何者でもないです。でも、世の教育者や善人を標榜するイイオトナはそれを否定して、自分達が作り上げた「健全な子ども」を育もうとしているのだと私は思う。
そういう行為が、結果的に異端の子供達を追い詰めていることを、彼ら彼女らはどう考えているのか。こういう人たちもやはり想像力が貧困なのでしょう。

あと「現実から目をそらしちゃいけない」とかも言われたことがある。
大きなお世話以外何モノでもないと思う。
こういう人たちの言う現実は、「世の中の平均(普通とか常識という言葉に置き換えられるもの)」であって、本当の現実「差別、理不尽、デタラメ」といったものは含まれない。
私にとって小説や漫画、ゲームはそういった「暗い現実」から一時的に逃げるための、安楽の場所なのにもかかわらず、しきりにそのつらい現実に戻そうとしてくる。それは鬼の所業以外なにものでもありませんでした。

常識のある(と思い込んでいる)オトナは道徳的な本や教科書に載っているブンガクをしきりに進めてくる。ホラーや猟奇的な内容のものは認めようとしない。読むと頭がおかしくなるとまで言う人もいた。「おかしいのはどっちだ!」とあの頃の私はいえませんでした。強いものには逆らえない、相手の正論に折れてしまう。今でも心に引っかかってしまっているのも、歯がゆい。
どっちも人間が作ったものに変わらないのにもかかわらず、世の中の大部分がイイ、または正しいと思っているものを押し付けてくる。この傲慢さが私は嫌いでした。こういう人たちが、アカデミー賞という冠につられて、はじめは興味もなかったくせに「おくりびと」を見に行くのだろうと勝手に解釈。
そのうち、道徳の授業とかの題材になりそうでいやだと思う。本当にくだらない。

自分達がいいと思ったものじゃないと認めない。
変なもの、変わったものは徹底的に除外するし、教育によくないという根拠のない理論でツブしていく。
こういう人たちが結果的にいじめやひきこもりを生んでいる場合もあることに気づかない。

そういう良識的で善良な人のおかげで、私も立派に「変わってる人間」というレッテルの上で生きてきました。いろいろと厳しかったです、ありがとうございます。
私はそういうあなたたちのことが、昔も今も大嫌いです。

…ああ、少しすっきりした(笑)

かみつきA

涙逃走

2009年02月04日 04:19

どうも、かみつきAです。

前のアクセス履歴を見ていると「社会不適合」で検索をした結果、ここを見た方がいらっしゃるようで、少し驚きました。
このブログをはじめて、まだ一月たっていませんが、検索に引っかかるようになってくれるとは。
とはいえ、Googleで調べてみたら、110件目くらいでしたけれど。
いつの日か上位に来るか!?

で、そうなんですよね。
なにがそうなんだといわれれば、「社会不適合」なんです。
昨日の日記でも軽く触れましたが、私は子どものころから集団行動が大の苦手でした。
だからみんなで動かないといけないというときには逃げたりしていました。前へ倣えができない。もう災害の時には真っ先に死ぬタイプです。
そのクセが未だに抜けていない。
ちなみに夢は高等遊民です(嘘)

小学生のころ、ある学年のとき、担任の先生が「みんな仲良くしよう!」と熱血に燃えた先生だったときがあった。
だから「今日はみんなで外で遊びましょう」なんていうときがあったりした。
冗談じゃない。
外で遊ぶとなると協調性とかチームワークが必要になってくる。そんなの私には苦しいだけだ。
でも多勢に無勢。外で遊ぶって言うと、普通の子どもは喜ぶ。私は「いやだ」の一言が言えないまま、うつむいてみんなの後をついていった。
時たま抜け出して一人うろうろしていることもあった。
先生もそんな私は眼中にないらしく、何も言われることはなかった。

ある冬の日のこと。
ちょうどこのぐらいの季節だったと思う。
外でみんなが遊んでいる中、私は一人教室にいた。
ぼんやり外を眺めていると、曇りガラスの向こうで雪が降り出している。
窓を閉めていても聞こえてくる、クラスメイトの楽しそうな笑い声。
こらえきれなくなった私は、図書室へ向かった。

ほかのクラスは授業中。もちろん図書室には人はいない。
隅っこに座りぼんやりと外を眺めていた。
後どのくらいこうしていればいいのだろう、そんなことを思いながら、座っていた。

時間がたち、チャイムが鳴る。
静かに教室に戻って自分の席に座っていると、クラスメイトが続々と帰ってきた。
先生が教壇について、授業が始まる。
私がいなかったことは誰も触れないし、きっと誰も知らない。それでいいのだろうと、当時の私は思った。

一人でいるのが好きな子だっている。だから、嫌がる子どもにはムリに集団行動をさせてほしくないと思う。社会的な経験につながるから大切なことかもしれないけれど、「みんなで」がいやな子だってたくさんいることをわかってほしい。

私はそうやってたびたび一人で過ごしてた。
その中でも何度かインパクトの強い体験をしたことがあるけど、長くなるのでそれはまた別の機会に書こうと思います。

かみつきくんA


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