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2015年05月17日 01:08

つまらないことで、あらゆることについてのモチベーションが下がる。
提出の異議があるのかないのかがあやふやな書類、もう既に提出期限を2週間は過ぎて居る。
焦るところなのかも知れないけど、手を付ける気が起きない。

結局、その書類を処理する人がすでに色々手一杯の状態で、チェックもまともにできておらず、「Bさんだけ書類の提出がまだなんだけど」って言われるのも、もう少し先の話だろう。

つまらんことでモチベーションがさがるので、同僚と二人きりになった時などにその話をすると、みんな優しいのかそれとも本当に彼らもそう思っているからなのか、同意の言葉が返ってくる。
なのにみんな律儀に提出してるんだなあ、と感心する。

先日、新人歓迎も兼ねた職場の飲み会があり参加してきたのだが、予想通りに後悔して帰ってきた。
場を支配することに喜びを覚える上司は、自分のそうした振る舞いや欲望について無自覚に見える。
歓迎されるはずの新人さんが、出汁にされているようにしか見えなくて、胸くそが悪かった。

どれくらいの人間が、あの空間を本当に楽しいと思っていたのだろう。
表情を見る限りは、楽しくなさそうだったり不快に思っている人もいないわけではなさそうだった。
なんで参加したんだろうと思う、僕も含めて。

くだらないことに体力や時間を割きたいとは思わない。
くだらないというのは、僕が喜ばないことに僕を犠牲にすることについてだ。
読みたい本も読まず、だらだらと大概は別に親しくもない、心を大きく寄せているでもない人間の書いた言葉を眺めて眠る。
読みたい言葉は、滅多に流れて来ない。
聴きたい声は聴ける見当がつかない。存命かどうかもあやふや。
きみはまだ僕のことを友人と思ってくれているだろうか。
きみが息をしてこの世界に存在していることをいつも祈っています。

僕は存外一人でも平気な人間らしく、日常に埋もれ始めるとあまり寂しいとかは感じなくなってくる。
それはそれで恵まれている。僕は恵まれている、なにかと。

先日、知り合いに紹介して貰って何度かお会いしている画家の先生にクロッキーのやり方を少し教えてもらえる機会があった。
まず鉛筆の削り方と持ち方から教えてもらった。中学高校では何も教えてもらってなかったんだなとわかった。
目で見たものを、自分が見えたように、紙に写していく作業は、続けていくうちにある感触をもたらす。

目で見て、まずここまでの線を引くというのを決めて、引く。
次に鉛筆の先は離さずに、ここからここまで、このカーブで、この角度でと決めて引く。
それをもう何度かやった後で、線に囲まれた空間ができる。
その空間と、実際目の前にある空間を見比べたときに、その形が僕の目から見て「ほぼ同じ」と言ってもいい瞬間が何度かあって、それにはかなり興奮した。

見えているままに描くのは難しい。
目を裏切って頭の中のものを勝手に手が描いてしまう。
その傾向を振り切って、目に忠実に身体が動いた痕跡が残ったとき、ものの見え方が少し変わった気がした。

大体4時間ほど。
持ってきたスケッチブックは、高校卒業以来長いこと白紙のページをそのままにしていた。
それをほぼ使い切っていた。

僕は昔から絵を描くと、紙面の真ん中にぽつんと描くことが多かった。
意識しないで描くとそうなる。上下左右の余白が勿体無いやつだ。
それも少しだけ変わった。スケッチブックからはみ出したものも少しはあった。

その帰り道、文具店で小さなクロッキー帳を買った。
寝る前に3枚描いて、その日は眠った。

次の日も描こうと思ったが、次の日も、その次の日も何を描き写したらいいのかわからなくて手を付けていない。
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